人は2度死ぬ

普段電話はいつでもできない母から、電話いつしていいですか?なんて、いい知らせなわけはないじゃん。

 

じいちゃんが亡くなった知らせを聞いた。

 

二度寝をキメられなくなった。

 

最後に東京にいったのは3年半くらい前。

インフルエンザ予防でマスクをしてったのに、帰ってきたらでけー客船の映像と、コロナ、コロナのニュースが流れていた。

大江戸温泉がまだあったころ。不倫詐欺おじさんと一緒にいった。

それより前に 不倫おじさんと一度母が会ったことはあったが、結局わたしは別の人と結婚した。

本気でわたしと一緒にいたいと決めてくれた人。

親不孝だな

 

友達の店に現れたりとか、

映画みにいってこれから飲みに行く最中にブスと一緒に歩いていた現場に鉢合わせて 偶然にしても縁を切りたくて 占い師さんにも相談しにいった。占いしてもらったのは、人生2度目だった。

ポロッと落ちたタロットにも意味があるらしく、

この人と関わるのは結婚生活にとってよくない、とはっきり言われた。

結構切実に2度と関わりたくないと言っていたのにスルーしてきた一緒に行った友人達も やっと信憑性を帯びた感じに受け取ってくれた。

恨まずに縁を切れるおまじないを占い師さんから教えてもらい、毎日となえていたが

ほんの数日後、詐欺師が買い物にきてて、

頼むよ!!!ってなった。

心臓がバクバクしてた。

わたしがいるとわかってる店に来る気がしれない。他に店がたくさんあるのに、嫌われてでも覚えていてほしいのか?何にも話さないのに。

 

数年一緒にいた人って、なんとなく気配でわかるもんだね。

2度とわたしと、わたしに関わる人たちの目の前に現れないでください。切実に思う。

 

 

 

じいちゃんの件で、先日、旦那と一緒に帰省した。

コロナ禍で結婚して それにしても電話でしか親に挨拶をしていないのが珍しいと 周りの人から今更ながら言われた。

リモートとかもあるよ、といわれて、その手があったな、と感心し、どちらの親も そんなものを使えるわけがない事に気づいた。

予想外のタイミングで挨拶になってしまったが、一人じゃなく ふたりでいけて よかった。

 

こんなにたくさん、はじめて母と家の話ができた。

大体の人は しょっちゅうはしないけど、

きょうだいの話になっても、

ふーん、そうなんだ、大袈裟なこと言ってるね、的反応をしたり、

自分の話にいつのまにかすり替えたりしてきたり、 

大人になってまた仲良くできるようになるよ、

だの、どうしようもない反応なんだけど

旦那には 大袈裟な話ではないのだとわかってもらえた。

元々、旦那も 親や元の結婚の件で 散々考えてきた人だから

こう言うとき、この人じゃなきゃダメだったんだなと、心底思う。

同時にあのまま、詐欺師おじさんとダラダラ不倫していたらと考えてはぞっとして、消したい記憶でしかない。

しかし、それがあるからこそかもしれない。とも思う。

 

 

久しぶりの小岩は、まだ大規模な開発の前らしく、そのままで 安心した。

 

20年前、ひいばあちゃんが亡くなった時に 遺影をみた途端泣いてしまったから じいちゃんもどうか、と よぎりながら 会いに行くまでの数日を過ごした。

ふっくらとしていた顔も痩せこけてしまっているのだろうか

とか考え、一歩一歩進むたび どう言う気持ちでいたらいいのか、と考えていたが

じいちゃんの顔をみたら、今にも動き出しそうだとしか 言葉が出なかった。

わたをつめてもらってるから、と、母が補足をしつつ、病気で苦しんでとかではないから、ときき、ならば、と、安心した。

 

 

電話いつして大丈夫?という連絡の時、

不謹慎だが

姉が自殺した

という報告を期待してしまっていた。

 

わたしはいなかった存在になっているとずっと思っていた。

お通夜も告別式も、出られない。

だけど焼いてしまう前に じいちゃんに会えてよかったし

かわいかったママが、最後に会ったときから、元々小さいのに 急激に細く 小さくなってしまってたから心配ではあるが ママの妹がいてよかった。

彼女がいてくれたから、じいちゃんに最後に会えた。

わたしはわたしでこの土地でひとりではじめるべきだった、という 自分なりの答えも わかった。

ひいばあちゃんの遺影を見て、同時に泣いた姉とは、もう2度と会う事はないとも わかった。

 

いまくらいだろうか

と言う時間に、

離れた場所から じいちゃんを想ったよ。

 

ひいばあちゃんが亡くなった時、ずっとおもっていた。

なんでもっと会いにいかなかったのかだとか、考えても仕方のない事を。

けれど、わたしを救ってくれた小説がある。

 

狗飼恭子さんの作品だ。

 

人は2度死ぬ。

1度目は 肉体の死

2度目は 忘却という死

と 教えてくれた。

 

とてもシンプルで、しかし、思春期のこじれたわたしを まっすぐに包んでくれた。

もう2度とあえないけれど、わたしが覚えていれば、その人はずっと生き続けるんだと 思った。

 

すごく救われた。